読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

親子風呂

子育て、ハワイ、キャンプ、投資、あれこれ気になることを試していく5才と2才とサラリーマン


【子育て】勝った時、負けた時、君になにを話そう





f:id:oyaco_blog:20160727232934j:image
今夜、TBSで放送した「緊急特番!今夜限定…スポーツ界を揺るがした4大伝説

有森裕子と松野明美

なにげなく見始めたこの番組、バルセロナオリンピック、マラソン女子代表選考をめぐる有森裕子と松野明美の関係。
いつかこの話を見たことが子どもたちの成長の過程で大切なことのような気がして「子育て」カテゴリにしときます。



番組内容

 1992年。女子マラソン日本代表の最後の一枠を巡り、日本中の注目を集めていた2人の選手がいた。1991年世界陸上で4位の好成績を収めた有森裕子。一方、1992年1月 大阪国際女子マラソン2位に入った松野明美。「私を選んでください。」代表選考発表前日、松野の異例の会見に象徴される二人の代表争いは、スポーツ史に残る事件だった。これ以降、一度も言葉を交わすことのなかったライバル二人が再会することになった。二人の心の中に去来するものとは…。
〜番組ホームページより〜


無念の松野明美

大阪国際女子マラソンのタイムで1分以上いいタイムを記録していた松野明美、本人はもちろん世間も松野明美が選ばれると思っていた中での代表選考。
たぶん僕も当時マラソンファンだったらそう思うだろうなー。

しかし選ばれたのは有森裕子。
この無念は計り知れないよなー。オリンピック代表なんて想像もできないけど、それを目指す人たちの努力なんてもっと想像できない。

それが一気に崩れ落ちる代表落選の一言。


苦悩の有森裕子

代表に選ばれた有森裕子も手放しで喜べる状況ではなかったとか。
世間は松野明美が選ばれると思っていたなかでの代表。しかも1年以上マラソンを走ってない有森裕子が代表になる。不正があったと疑われ、嫌がらせをされる日々。

松野明美を押しのけて勝ち取った代表で走るって、日本中からとんでもないプレッシャーをかけられていたんじゃないだろうか。
そんなの想像できるワケもない。

有森裕子はそんなプレッシャーの中バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得。僕の記憶にあるのはこのシーンの有森裕子。
でもこの瞬間までにそんな苦悩があったことも知らなかったし、その裏で考えられないぐらい悔しい思いでテレビを見ていた松野明美がいたことなどまったく知らなかった。


再会

それ以降、20年近く顔を合わせたことのない2人がこの番組で再会する、という企画だった。

松野明美は当時の悔しさを語り、有森裕子は苦しさを語った。
結局、2人とも苦しかったということ。
でもそれは決してお互いに分かり合えないまったく違うベクトルの苦しみで、お互いが自分だけが苦しいと思っていた。
でも、松野明美が有森裕子の銀メダルを持ち上げた時にその思いが重なったようだった。
松野明美はそのメダルの重さに有森裕子の苦しさを感じたんだなーって感じ。


勝った時、負けた時、なにを話そう

さて、なんかポエムっぽくなっちゃったけど本題です。
オリンピック代表選考はさすがに雲の上の話だけど、子どもの成長の過程ではこんなシチュエーションってありそうな気がする。
自分の苦しさを他人のせいにしたくなるような、自分だけが苦しいって言いたいシチュエーション。
自分の子どもがそんな思いになった時なんて言えばいいのかなー。


有森裕子さんは代表に選ばれてから松野明美さんの名前を言葉にすることはなかったとか。
謝ったり、同情したりするのは、それは違うと思ったと。
何も悪いことはしていないんだから。


そうだよなー。
こういうことを伝えたいかも。勝とうが負けようがそこに行くまでの努力は他人にどうこう言われることじゃない。的なことなのかな。
なんか締まらないけど、ちょっとずつ考えよっと。



ちなみに、有森裕子さんが勝者で松野明美さんが敗者なのか。実はそうではないんです、この2人は直接同じ大会で走ったことはないんだとか。だからこそ長年わだかまりがあったのかな。知らなかったな〜!