昨日、とあるハンバーガーショップでの話。
聞こえてきた親子の会話
長男がハンバーガーが食べたいというので、ハンバーガーショップでお昼ごはんにした昼下がり、隣で小学校3〜4年生ぐらいの女の子とお父さんが食事をしていました。
お父さん「円安になるとどうなる?」
女の子「輸出が有利になる」
お父さん「そうそう、じゃあ円高は?」
女の子「輸入品が安く買えるけど、輸出が不利になる」
とかいうやり取りが聞こえてきました。
なんかすげー(°_°)
お父さんは白髪多めで、いかにも教育熱心そうな清潔そうな方。女の子の年からしたらちょっと遅めに生まれたお子さんなのかなと思うけど、まぁ最近なら珍しくないレベルですね。
お父さん「でも、最近は現地に工場を作って、現地で生産してるからそうでもないんだよ、車とかアメリカで作ってアメリカで売ってるからね」
女の子「ふーん」
お父さん「だから、円高が進むと経済に打撃があるなんてみんな騒いでるけど、そんなのウソなんだよ」
(のような内容)
親子の会話でこんな事話すんだと感心しましたが「円高が進むと経済に打撃があるなんてウソ」という言い方は合ってんのかな?
確かに現地工場で、現地の人を雇って現地で生産して現地で売ってる以上は、為替変動の影響は受けづらいんだろうけど、日本企業が最終的な損益を日本円で考えるんであればやっぱり影響があるような…しかも海外で物を売って利益をあげる企業の全てが現地生産できるわけじゃないしねぇ…詳しいことはわかりません。
詳しいことはわかりませんが、その言葉の真偽よりも「円高が進むと経済に打撃が…と騒いでるのはウソ」という断定的な物言いが妙に引っかかりました。
演奏と心
次男のトイレタイムで少し席を空けている間に会話は別の話題へ。
お父さん「じゃあ、ここで問題です。心がこもってるけど下手な演奏と、心がこもってないけど上手な演奏、どっちがいい演奏でしょう?」
両手を大きく広げて、注目!と言わんばかりに出題するお父さん。これは興味深い問題。僕の意識は完全に女の子の答えに集中。
ウチの長男次男はパックのジュースを残さず飲み干すことに集中。ズズっー、ズー。
女の子「心がこもってるけど下手な演奏」
おおっ♪ ええ子やなーこの子はT^T
お父さん「ブー、正解は心がこもってないけど上手な演奏です」
っ!?
お父さん「心がこもってる、こもってないって言うのは当人の自己満足でしかないんだよ。聴衆にとっては下手な演奏は苦痛でしかない。モチロン、心がこもってて上手な演奏が1番いいんだけど、2番目にいいのは心がこもってなくても上手な演奏だね」
女の子「…」
絶句。僕は絶句。女の子はなにか答えてたのか、頷いてたのか、黙々とご飯を食べていたのか覚えてません。
お父さんはその後もいくつかの例をあげて「心がこもる」に意味がない事を解説してました。
僕は、なんかその言葉に変な衝撃波を感じて一瞬のけぞったような感覚に。
これは…
いや、でもどっちだ?
俺かな?俺の考えが変な道徳におかされてるのか?
いやでも、相手は小学生だぜ?
うーーーむ。わからない(°_°)
うーーーーん(°_°) 誰か教えてケロ。ケロケロ。
僕の頭の中の道徳くん達が例えはじめた
席を離れていたのでこの問題の「演奏」の定義がわからない。これを僕の頭の中の道徳くん達が例えはじめました。
プロの「演奏」だとしたら
お金を払って聴きに行ったコンサートでの話だったのかもしれない。
それなら下手ではいけないですね。
仕事と割切って心はこもってないかもしれないけど上手じゃないといけない、と彼は言いたいのかもしれない。
けど「聴衆は苦痛」と言っていたなぁ。
自分の意思で聴いている演奏ではないイメージ。
発表会の「演奏」だとしたら
たぶんこれのことなんだろうな。
自分の娘の小学校の演奏会なり、習い事の発表会かなんかで聴くイメージなんだろう。
確かに下手な子はいるだろう、そりゃ、子どもなのだから。練習中なのだから。
他人の子どもの下手くそな演奏は「ただの聴衆」なら確かに苦痛かもしれない。
このお父さん、自分の娘の場合もそう思うのかな。
「聴くに耐えない」とか言うのかな。
《娘が難しい曲を一生懸命練習して、一生懸命弾こうとしてる練習途中の演奏》よりも、
《演奏会に間に合わせのとりあえず弾ける簡単な曲の完璧な演奏》の方がいいのかな。
どっちだろう?娘でもダメなのかな?
僕のなけなしの道徳がもっと例えてみる。
プレゼントの「演奏」だとしたら
例えば父の日のプレゼントだとしたら?
娘からもらう父の日のプレゼントがその「演奏」だったとしたら。
《娘がプレゼントのために難しい曲を少しでも弾けるようになったと伝えたくて一生懸命練習して、一生懸命弾こうとしてる練習途中の演奏》よりも、
《プレゼントでなんかしなきゃいけないからとりあえず弾ける簡単な曲の完璧な演奏》の方がいいのかな。
わからねぇ。わからねーよー
彼は違うと僕の道徳は言っている
結局、彼がどういう意図であの言葉を女の子に言ったのかはわからない。
わからないが、とにかく僕が悲しいのは、彼女はその直前まで「心のこもった下手な演奏」を支持していた。
それを制してまで言うことか?
彼女がなぜ「心のこもった下手な演奏」の方がいいと思ったか理由も聞かずに?
彼女の最初の心を不正解にしてしまっていいのか?
少なくとも僕の道徳は違うと言っている。
僕は、息子たちには女の子の最初の心を持って育ってほしいと思っている。
演奏にしろ、歌にしろ、絵にしろ、作文にしろ、心は伝わる。表現はただのツールであり、大切なのはその時の感情。
卒業式で歌う感謝なのか、上手になりたいという情熱なのか、まぁいろいろだけど、なにをするにも心をこめて取り組んでほしいと思うし、他人が作品にこめた心で感動できる人に育ってほしいと願っている。
作品の上達よりも、その中にある心よって息子たちの成長を感じたい。
5〜6才ってもうすぐそういう年かな。
いやぁなんかびっくりしてつい重たい記事になっちゃったな笑
人にはそれぞれ考え方ってモンがあるし、一概にどっちがいいとか言えないけども。
ここまで違いを見せつけられたのは初めてかもしれない。子育ての道徳に「常識」なんてないんだな、考えの違う人たちと生きていかなきゃいけない、小学生の親になるってタイヘンだな、大丈夫かな。
ちなみにプロの「演奏」に少し補足
僕はライブが好きです。クラシックはわからないけど、ロック、ソウル、テクノ、ポップ、ジャズ。ドームからお客さん数人のライブハウスまで、数え切れないくらいライブに行ったけど、プロのライブでも「心」必要ですよ。
金払ってでも聴きたい「演奏」とは、CD通りの上手な演奏ではなく、その日その時のノリと情熱。好きならそのぐらいわかります。
そして、それができるのがプロだと思うのです。
じゃあ、彼の言っていた「心のこもってない上手な演奏」ってなんだろう?笑
最後に、
これとこれまでの内容を関連づけるつもりはないけど、ただありのままの事実として書きますが…
セルフリターンをすべきハンバーガーショップでイスも食べた物もとっ散らかして帰っていきました。
そういう教育もしたほうが…
「あ、これオチに使えるな」と写メってしまう僕の道徳もどうかと思いますけどね(°_°)