おやこぶろ

子育て、ハワイ、キャンプ、投資、あれこれ気になることを試していく3人息子とサラリーマン

【小1の壁】02.子どもが学校に行けなくなったときの初動対応





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こんにちは、おやこです。

当時、小学校1年生の次男とっちゃんが、夏休み明けから学校に行けなくなってしまったときのことを振り返っています。

今ではウソみたいに楽しげに学校に行けるようになり、今年、小2になって迎えた夏休み明けも、楽しそうに学校に通えるようになりました!

でも、先のことが見通せなかったあの頃は、なかなかキツかったなぁと思い出します。
どこかの誰かの同じような小学生とその親御さんの役に立てば幸いです。

(当時、次男が学校に行けなくなってしまった1番の要因は『不安』。イジメや先生の問題の場合は対応は違ってくると思いますのでご注意いただければと思います)


1回目の記事はこちら
 ↓

学校に行けなくなった初期の3日間

はじめて『子どもが学校に行けなくなる』という現象に遭遇し、妻と共にかなり混乱していたような記憶があります。

ちなみに長男は結構ポワーンとした性格なので、こういう繊細な現象はありませんでした!笑

やっぱり兄弟でも全然ちがうよねー。というようなエピソードネタの1つですが、当時は親の我々もかなりキツかったです。

ケータイのメモに当時の記録がうっすら残っているので、そのメモを振り返りながら、当時の次男と僕の心の動きを振り返っていきます。


2020/8/31 月曜

(この日のメモ)
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これが夏休み明け初日。
記録したのは何日か経ってからだったと思うので、細かい状況を書いていないけど、このシンプルなメモが、ある意味僕の焦りというか、どうしたらいいのかわからないといった心理が見える気がします。

2020/9/1 火曜

(この日のメモ)
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そして、翌日の朝、学校に行けなくなってしまった初日のメモ。
さぞかし大泣きだったんでしょう。
ビデオに撮って記録でもしておけば、どんな状況だったか一目瞭然ですが、もちろんそんな冷静な心境ではなかったですね。

前回の記事でも書きましたが、
「学校行かなくてどうすんの!」
「ずっとお休みなんかできないんだよ!」
みたいな、とにか学校に行かせようというような、弱い気持ちを吹き飛ばすには強めの言葉で鼓舞だ!みたいな、対応をしていた気がします。
いま思えば、この親の態度は不安を冗長するだけだとわかりますが、モチロン当事者の僕と妻はそんなことに気がついていません…

2020/9/2 水曜

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一部文字を消しています。
この日は急遽仕事を休んだんだっけなー。
朝はやっぱり学校に行けず、僕が家にいたことで少しづつ不安がとけてきて、僕が付き添って3時間目から登校できました。
給食はコロナ対策のためみんな机前向きで食べるようになっていて、黙々と食べてました。
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で、この日はたしか4時間授業で給食で学校が終わったので、一緒に自治体の教育相談に行きました。

登校しぶり発生から2日目にしてこの対応は素早いんじゃないでしょうか。初めてのことなのによくこんな判断できたなぁ、エライぞおれ!笑

とまぁ自画自賛していますが、単純に焦りの裏返しだったんでしょうね。

ちなみに、登校しぶりに関しては強い言葉を使ったりしてしまっていますが、普段の次男と我々親との関係は極めて良好です。

教育相談もしぶる次男を励ましながら話をしに行くと、僕は職員さんとの面談、次男は心理士さんが相手してくれる。という離れ離れの対応が提案されました。

それはムリじゃなーい?と思った僕。

予想通り初めて会う相手に、また『不安』の気持ちが現れていた次男。しかしいったいどういう魔法なのかわかりませんが、数分のうちに心理士さんに心許したようで、近くのキッズルームに一緒に遊びに行きました。
プロってすげえ。

メモには「行ってよかった」と書いてある通り、本当に行ってよかったです。

次男は心理士さんと遊びながら、今の不安の気持ちやその原因について、絵を描いたりお話をしたりして伝えていたようです。

親の我々だけでは引き出せなかった次男の心の中にあるもの。
伝えることができた次男も、それを聞いた僕も、いったん冷静になれた気がします。


つづく。