今回は移動機内で見た映画「私の中のあなた」について書きます。自分が親になってから、映画や本はまず子どもがテーマにのものを選ぶようになりました。これもそんな作品です。
「私の中のあなた」
実話に基づく話だそうです。とりあえず根幹のネタバレなしで書き進めます。
あらすじ
- 2才で急性骨髄球性白血病を患ったケイト
- 父、母、長男はドナーとして適合しない
- 両親は受精卵の段階で遺伝子操作し、ドナーにするために次女アナを出産
- ケイトに輸血や骨髄移植が必要となるたびに幼いアナは苦痛を強いられてきた
- アナが11才になった時、腎臓の片方の移植が必要となる
- ところがアナは提供を拒み、両親を相手取って訴訟を起こした!
なにこの状況。ムリです見られません。ホントにこういうの悲しすぎて耐えられない。
けど、あらすじを知ってしまった以上、この家族がどうなるのか見届けずにはいられないし…うー
終始つらい
実話に基づく映画だからか…いやこれが仮にフィクションでも、きっとどこかに同じような状況に置かれている家族はいるんだよね。現実に直面している方がいるなんて想像するだけでつらすぎる。
冒頭にケイトの病気が宣告されてから、終始つらすぎて僕の精神力ではまともに見られません。
家族、特に兄弟が闘病のなかでも明るく楽しくすればするほどつらくて涙がとまらない。
ケイトがどんどん弱っていく様もつらい。
兄妹の関係
とっても仲の良い兄妹です。長男ジェシー、長女ケイト、次女アナ。アナはケイトのドナーになるために産まれた子どもだけど、決して2人が歪み合ってるとかではないし、むしろ本当に愛し合っている姉妹。移植を拒んで訴訟を起こしたあともその関係が崩れることはないみたい。だったらなんでだよアナ!おいーーーーアナーーーーT^T
「腎臓を取ったら私どうなっちゃうの?」
「チアリーディングがしたい」
「手術したら一生注意して生きなきゃいけないんでしょ」
「手術が失敗したらどうなるの?」
こういう不安との闘いが13才の女の子には過酷なんだろうか、それが大好きな姉のためだとしてもやっぱり。
ドナーとしての子どもを産むこと
僕が同じ立場だったらそこにすがるしかないと思ってしまう。倫理的にどうだとかそんなこと考えられない、目の前にいる自分の子がこのままじゃ死にますって言われて助かる可能性がわずかでもあるならそれに賭けたい。
熱くなる母
元弁護士の母は自ら法廷に立ち、アナの弁護士と闘う。「ケイトを救うためなのに、なぜ協力してくれないのか」と取り乱す。
この気持ちもわかるよなぁ。見殺しにするのかと言いたくなっちゃうかも。
少なくとも映画の中では「ドナーにするために産んだんだから」的な直接的な表現はなかった。それはこの映画の主眼がそういう社会問題の側面ではなく、あくまで家族の物語だからかな。
父親は
立派に構えていた。弱っていくケイトを受け入れようとしていた。僕にはムリです。
あームリほんとムリ。そんなに強くなれないどうしようー
!注意!
以下、ネタバレがあります。これから映画を見たいとお思いの方はこちらへ逃げて下さい笑↓
本当の理由
裁判のクライマックスは長男のジェシーによってもたらされる。
アナは証人席に座り母親に向かって「医療判断の権利の主張」を証言。
母はアナに詰め寄る。
「どうしてなのアナ?ケイトが大好きでしょ?」
傍聴席で落ち着かない様子の長男ジェシーは、父親に促されて証言台に向かって叫ぶ。
「本当の事を言えよアナ!」
「ケイトは死にたいんだよ!」
ああ、そういうことだったのか…
ケイトはもう弱りきっていてアナが臓器提供をしてくれるとしても手術には耐えられない。だから死ぬためにアナに訴訟を起こさせたんです。
つらい。こんなつらい結末がある?
僕の考えはこうです↓
- ただケイトを救いたい一心の母親の愛
- もうアナにも母親にもつらい思いを続けさせたくないケイトの愛
- ケイトの想いにこたえたいアナの愛
みんな全力の愛。ホントに最初から最後までつらいだけの映画です。子どもがいる家族にはまったくオススメできません。悲しすぎて。
こんなことが現実に起きたら耐えられないやっぱり僕の精神力では。
でも考えたくないけど、うちの子たちがこういう状況になるかもしれない可能性がほんのわずかでもあるなら、心を鍛えておかなきゃホントに狂っちゃうから訓練のために何度も見ます。
結末を知ってからもう1度見るとまた違って見えてくるものもあります。
いまはただ家族の健康と安全を祈る。
長文失礼しましたー。