こんばんは、おやこです。
先日、叱らない子育てのせいで子供の忍耐力が低下しているという心理学者さんのコラムに噛み付いたところ、id:kabosuchanさんからコメントいただきました。ありがとうございます!
コメントの話は後述するとして、
お手本になる子育て
kabosuchanさんのブログ拝見しています!
この記事の冒頭、1年生の息子さんが、今年の漢字は頑張ってるっていう意味の漢字がいい!と言ったエピソード。
最高すぎる。
ウチの3人息子にもこういう感性を持ってもらいたい!こんな子育てをしたいものです、お手本にします〜
それから、このエピソードも感銘を受けました。息子さんの様子をめちゃめちゃよく見てらっしゃるなーと!
そうそう。
去年の夏、ウチの次男くんの登校しぶりの対応におわれ、1日中我が子と過ごして、毎日何時間も小学校で見守って、クラスメイトともたくさんおしゃべりして、すごく感じたのは、
「もっと子どもを観察しないといかんなー」
ということ。
それを心がけるようにしたのが、僕なりの「怒らない子育て」の始まりです。
kabosuchanさんのように、子どもをよく見る子育てができるようになりたーーい!
(すいエンサー風)
「怒る」というのはすごく表面的だし、その瞬間の子どもしか見れていない行為だと思ったのです。
子どもには子どもの理由がなにかある。
それを見つけてあげないと根本的な解決にならない。
もちろん、僕は聖人ではないで、内心めちゃめちゃイライラしたり、まだ怒ってしまうこともあるんだけど、なんとかこの「怒らない子育て」を習得したいなと…
思ってます!
この【怒らない子育て】シリーズは正解の押し付けではなく、僕のチャレンジ企画です笑
「怒る」と「叱る」の違い
さて、先日書いてしまった、とあるコラムの批判記事。
こいうコラムに噛み付いてること自体が、僕の忍耐力も低いんやな、と思わされますが…笑
kabosuchanさんにご指摘いただいたのは、この筆者は"叱る"と"怒る"を区別していて、"叱らない子育て"の名の下に、子どもを放置する親が増えている点を問題視しているんじゃないかな?という内容でした。(合ってますか?)
たしかに。最近は、子育てにおける"叱る"と"怒る"を区別してる感じがありますね!
※ 以下、まるでkabosuchanさんのコメントに反論しているように見えるかもしれませんが、まったくその意図はありませんので誤解されませぬようお願いします!僕のお手本ですので。
でも、でもdemo !!
辞書によると、
叱る:目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる
なのです。
いやいや、強くとがめるとかそういうのが良くないワケで!しかも目下じゃないし。子どもは親の分身だろ、いま子どもが行ってる行為は自分の子育ての結果だろ。
なので、僕の子育てでは、"叱るはオッケー"という認識も辞めることにしました。さっき決めました。
なにが言いたいかというと、
僕の目指す子育ては、"子どをよく見る"ということと、"対話"によって成り立つ関係です。
これは、kabosuchanさんが実践されている気がします!!
ただし、放置はしません。
子どもたち自身に危険な行為には"注意"
人に迷惑がかかるような行為には"指導"
をしていきます。
これをするのに「強くとがめる」は必要ないはず。柔道のルールにもあるくらいだしね。(注意はもうないらしいけど)
柔道の審判は強くとがめたりしないでしょう笑
審判も子育ても、肝心なのは"よく見る"ことだと思うのです。
そして、むしろ冷静でなくてはいけない。
審判も子育ても、相手に納得させるには、こちらは冷静かつ毅然であることが重要かなと!
(ちなみにワタクシ、最近は少年スポーツの審判員もやったりしてますので、こういうトコ実体験で学びました)
でもって、僕にとってなによりも大事なのが、楽しいこと。お互いに楽しいこと!
「よく見ていない親」はたしかにいる気がします。しかし、僕の印象では、そういう親ほど瞬発的によく怒ったりもしている気がするんです
笑
そしてやっぱり、先日発見したコラムの筆者がいうところの「叱らない子育てが、子どもの忍耐力を低下させている」は、的外れな指摘かなと。
科学的根拠はないし、ただの僕の感想だけど、
「よく見てもらえずに育った子や、瞬発的に怒られて育った子は、衝動コントロールができづらそうに見える」ならわかる気がする。
少なくとも、なんとか人間科学研究所の心理学博士さんなら、もうちょっと科学的なアプローチとか、アンケートではなく統計データをもとにこのことを分析してほしいよなぁ。
凡人がなんかスミマセン…
ご意見は、LINEのオープンチャットでもお待ちしてま~す。